子どもの熱中症って、いったい、どこで起きているのだろう。
屋外?
学校?
スポーツの最中?
車の中?
家庭?
もちろん、さまざまな調査や報告はある。
でも、子どもの年齢や体格、置かれていた環境まで含めて、一人ひとりの状況がどこまで分かっているのだろう。
そんなことを考えた。
たとえば、チャイルドシート。
小さな赤ちゃんは、自分で姿勢を変えることができない。
身体の前から冷たい風が当たっていても、背中を触ってみれば、びっしょり汗をかいていることがある。
大人なら、
「暑い。」
「ちょっと動こう。」
「ここから出よう。」
と自分で何とかできる。
でも、新生児にはできない。
では、2歳は?
年中さんは?
年長さんは?
小学生は?
高校生なら?
どこから「自分で大丈夫」が始まるのだろう。
そんな境界線、簡単には引けないよねえ。
同じ5歳でも、身体の大きな子もいれば、小さな子もいる。
同じ気温でも、元気いっぱいの日と、寝不足の日では違う。
体重も身長も違えば、汗のかき方も、暑さの感じ方も違う。
年齢だけでは決められないことが、案外たくさんある。
そう考えていたら、以前聞いた話を思い出した。
ベビーカーで移動していた子どもが、皮膚のトラブルを起こした。
近くでは除草剤が使われていたという。
もちろん、作業していた人は子どもに向かって散布したわけではない。
それでも、小さな子どもは大人より地面に近いところにいる。
ベビーカーなら、なおさらだ。
大人には何でもない環境が、小さな子どもにも同じとは限らない。
そういえば、私自身も身長が低い。
混雑した電車に乗ると、人の中にすっぽり埋もれてしまう。
息苦しくなって、体調が悪くなることがある。
だから私は、そうならないように工夫する。
でも、それができるのは大人だからだ。
子どもは違う。
「なんだか変だよ。」
「ここは苦しいよ。」
まだ言葉にできない子どもなら、その小さなサインを大人が見つけなければならない。
そして、もう一つ。
「これに入れてあるから安全。」
「冷蔵庫に入っているから大丈夫。」
「子ども用の商品だから安心。」
私たちは、そんな言葉を案外たくさん持っている。
もちろん、安全のための基準は必要だし、多くの製品はその基準を守るために作られている。
だからといって、すべての条件で絶対に安全という意味ではない。
使い方も違う。
保存の仕方も違う。
傷んでいることもある。
そして、使う人の身体も一人ひとり違う。
「大丈夫」と書いてあることと、
目の前の人が大丈夫であることは、同じではない。
最近、そんなことを考えるようになった。
では、何も信じなければいいのか。
それも違う。
疑い始めたら、世の中の何もかもが怪しく見えてしまう。
情報を調べる。
専門家の意見を聞く。
表示を読む。
科学的な根拠を確かめる。
それでも最後には、目の前にいる人を見る。
顔色はどう?
汗は?
呼吸は?
いつもと違わない?
そして、自分自身についても同じ。
なんとなく変。
いつもと違う。
今日は無理をしないほうがいい。
そんな身体からの小さな声を、無視しない。
「自分の感性を信じる」というのは、科学を信じないということではないのだと思う。
知識を持ったうえで、それでも最後には、目の前で起きていることを丁寧に感じ取る。
そんな力なのかもしれない。
では、その感覚を鋭くするには、どうしたらいいのだろう。
うーん。
また新しい宿題ができてしまった。
今日は、なんともモヤモヤする日だった。
でも、このモヤモヤも、
「ちょっと考えてみようよ。」
という、自分の中からのサインなのかもしれないなあ。