「2024年 新年のご挨拶」

新年のご挨拶が遅くなりました。

皆様におかれましては、障りなく新しい年をお迎えになられたこととお喜び申し上げます。

 当医院の周辺の地区では、1月7日で、今年も無事に松の内が明けましたが

 1月15日の小正月のどんど焼きやお焚き上げまでは、行事が続く地域もありますね。

私は、山梨で生育しましたが、父の故郷である熊本のしきたりを習慣にして成長しました。

熊本には独特の文化が根強く残っています。

小正月は「女正月」と位置付けされて、餅花を作ったり、小豆粥を食べていました。

故郷は、どんな人の心にも、たとえ意識しなくても、温かく懐かしく、

まるでゴールデンオレンジの色のようにふんわり存在していると思っています。

お正月から小正月までは、多くの人が、家族や愛する人と揃って幸せで豊かな時間を過ごすかけがえのない時です。

今年は辰年で、縁起の良い昇り龍にあやかり、天赦日、一粒万倍日、天恩日の三大吉日であった1月1日には

謹んで新年のご挨拶を申し上げるつもりでいました。

ところが、能登半島を震源とした大規模地震により

多くの命が犠牲となり、未だ総数さえ明確にされない被災されて避難所に身を寄せる人々、孤立してしまった人々

ペットや動物たちに心を寄せると、お悔やみやお見舞いを申し上げることさえ出来ませんでした。

余震が続き、物資も届かず、SNSなどの当たり前の通信手段がない高齢者の多い地域での避難生活が

容易に想像できたからです。そして、それが現実だったからです。

私は、阪神淡路の震災、東日本大震災、熊本の地震、そして今回の能登半島の地震の全てに、身内が関係していました。

今の私には、「1日も早い回復と復興」「犠牲になった方にお悔やみ申し上げます」の言葉よりも

被災地に「少しでも気持ちが楽になるように」「温かいお風呂に早く毎日入れますように」と心を届けること、祈ることしか出来ません。

私は無宗教ですが、祈る力の物凄さを体験しています。

翌日2日に発生した羽田空港の事故についてのニュースも衝撃でした。

あの大事故で、だれも乗客が犠牲にならなかったことは、奇跡とも言われていますが

日々の訓練の基礎のある上に「全員を脱出させる」と覚悟してぶれずに行動した、機長、CA、

従い続けた乗客の皆様の一同の気持ちがあったからだと

私は思いました。

私には、信じる気持ち、腹を据えて覚悟すること、我を捨て天に任せること、多くを学ばせてもらった新しい年の幕開けとなりました。

締めくくりになりますが、今年1年の皆様のご健康をお祈り申し上げます。

今年も宜しくお願い申し上げます。

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