熊本で再び大きな地震が起き、そのあとも余震が続いている。
今日、8月1日には東北でも地震が起きた。
十年前の熊本地震の記憶がよみがえる。
自然は、人の都合を待ってはくれない。
それでも人は、そのたびに知恵を出し合い、力を合わせ、何度でも立ち上がってきた。
熊本は、いつも力強い。
「火の国」と呼ばれるその土地には、情熱と、人を思う温かさがある。
これから全国から多くの支援が集まるだろう。
ボランティアの受け入れも始まるという。
支援は、本当にありがたい。
でも私は、多くの災害を経験した熊本の方々から、支援する人を支えることもまた大切なのだと教えていただいた。
活動する人の体を守ること。
心を守ること。
無理をさせないこと。
支援してくださる方々への心遣いも、復興には欠かせないことを学んだ。
私は以前、被災地に関わる機会があった。
全国から、たくさんの物資が届けられていた。
その善意に胸が熱くなった。
けれど、その一方で気づいたこともある。
善意で送られたものでも、その地域や、そのご家庭に必要とは限らない。
励ましのお手紙や折り紙も、本当にうれしい。
でも、落ち着いたあと、「どうやって片づけたらよいだろう」と悩まれる方がいたことも忘れられない。
私は現地の方から、
「遠くから祈ることも、一つの支援なのですよ。」
と教えていただいた。
現地へ行くことだけが応援ではない。
募金をする人。
正しい情報を伝える人。
被災地の経験を、自分の地域の防災に生かそうとする人。
その一つひとつが、未来の命を守ることにつながっていくのだと学んだ。
昔の人は、危険な場所を見極めながら暮らしてきた。
自然を恐れ、自然と共に生きる知恵を受け継いできた。
私たちも、その知恵から学ばなければならないと感じている。
日本の人口は減り、高齢者は増えていく。
だからこそ、一つひとつの命が、これまで以上に大切になる。
いらない命など、一つもない。
だから、一人ひとりの命を丁寧に守っていくことが、何より大切なのだと思う。
熊本の経験を、熊本だけの経験で終わらせてはいけない。
その教訓を全国で共有し、次の災害に備えていくことも
熊本の経験を、自分たちの地域の未来に生かしていくことも
熊本への感謝であり、応援なのだと思う。
私は今日も、遠く山梨から熊本へ祈る。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。