飛鳥・藤原の宮都が世界遺産に登録された。
ニュースを見ながら、ふと思った。
遠い昔の人たちは、どうやって、あれほど壮大な都を築いたのだろう。
重い石を運び、
木を組み、
人が集まり、
知恵を出し合い、
気の遠くなるような時間を積み重ねてきた。
その姿を想像するだけで、私はわくわくしてしまう。
私の想像は、ときどき時代を超える。
クフ王のピラミッドもそうだ。
あの頃の人たちは何を食べていたのだろう。
どんな病気があり、どうやって命を守っていたのだろう。
子どもたちは、どんな遊びをしていたのだろう。
想像し始めると止まらない。
想像することは、人間だけに与えられた大切な力なのかもしれない。
そして、その想像は、言葉にして初めて誰かと分かち合うことができる。
そんなことを考えていたら、一人の友人を思い出した。
星が大好きな人だ。
子どもが小さい頃、夏休みの自由研究は毎年「星」がテーマだった。
親が答えを教えるのではない。
一緒に空を見上げ、
一緒に考え、
最後は、子ども自身の考えを大切にする。
「助言はするけれど、自分の価値観は押しつけないようにしているの。」
以前、そう話していたことを思い出した。
その子は大人になり、今では宇宙や天文に関わる仕事に就いている。
あの頃、夜空を見上げながら育てた好奇心が、そのまま人生につながっていたのだ。
子どもの好奇心は、小さな火のようなものだと思う。
大人がそっと風を送り続ければ、大きな炎になる。
反対に、「そんなことを考えても意味がない」と消してしまえば、その火は消えてしまう。
時代は今、大きく変わろうとしている。
AIが文章を書き、
ロボットが人の仕事を支え、
人口は減り続け、
病院も学校も、これまでとは違う姿になっていくのかもしれない。
暮らしはますます便利になるだろう。
けれど、その便利さの中で、人は何を大切にして生きていけばいいのだろう。
AIは知識を伝えることができる。
膨大な情報を整理し、私たちを助けてくれる。
でも、
誰かの涙を見て胸が痛むこと。
空を見上げて、美しいと感じること。
「ありがとう」の一言に心が温かくなること。
そんな心の動きまで受け継ぐことができるのだろうか。
誰かを思い、
誰かに思われ、
言葉を交わし、
迷いながら生きていく。
その積み重ねが、人という存在なのだと、最近しみじみ思う。
遠い昔の人たちが受け継いできたものは、建物や技術だけではない。
命の尊さ。
人とのつながり。
子どもたちの好奇心を信じること。
そして、
「人として、どう生きるか。」
という問いそのものを、時代を超えて私たちに託してくれたのではないだろうか。
その問いには、おそらく正解はない。
だからこそ、人は想像し、語り合い、考え続ける。
そして、その問いは、永遠に続いていくのだと思う。