食べるということ

子どもの頃、食事中におしゃべりをすると叱られました。

当時は厳しいと思っていましたが、今になって祖母や父の言葉の意味が少しわかるようになりました。

「食べ物は燃料ではない」

そう教えられました。

「食事とは、大地の恵みであり、海の恵みであり、天の恵み。

野菜も、米も、魚も、肉も、それぞれが命をつないできた存在。

だから急いでかき込むのではなく、よく噛みながら感謝していただきなさい。」

これが教えだったように思います。

では、私はどうだっただろう。

仕事に追われ、時間に追われ、急いで食べることが多かった・・・

立ったまま食べたこともあった・・・

食べ終わった瞬間に次の仕事へ向かい、頭も心もすぐに戦闘モードへ切り替えていた・・・

自分のことは後回し・・・

まずは仕事、まずは家族、まずは外の世界

そんな毎日を長く続けてきました。

もちろん、それも必要な時期だったのだと思うけれど、

最近、ようやく気づいたことがあります。

食べることは単なる栄養補給ではないこと。

命と命の交流なのだということ。

忙しいからこそ、ほんの数分でも立ち止まって

「いただきます」の意味を思い出すことがどんなに大切なことだったのか。

今日のこの食事が、大地と海と天からの贈り物であることを思い出して

いただくと、不思議と心まで満たされるような気持ちになりました。

そして、もうひとつの気付きがありました。

私は多くの食物アレルギーを持っています。

診断された当初は戸惑いました。

なぜ自分だけが、と悔やみ、恨み、嘆いたこともありました。

人生の終わりのように感じたことさえありました。

そんな時、家族は何も言わずに私に付き合ってくれました。

食べられるものを一緒に探し、食卓を工夫し、不自由さを共に受け入れてくれました。

当時はそのことに気づく余裕もなかったのです。

けれど今振り返ると、それだけで十分に幸せなことだったのだと思います。

今の私の食事はとてもシンプルです。

しかし、そのシンプルさの中に豊かさを感じます。

身体は確実に変化しています。

食べるものによって、身体だけではなく、物事の受け止め方や心の在り方まで変わることに驚いています。

私は長年、食育に関わってきました。

市の食育推進にも十年以上携わった経験があります。

それでも今のほうが、以前より豊かな気持ちで食育について語れるような気がしていています。

知識として伝えるのではなく、自分の身体を通して学んだからだろうと思います。

いくつになっても新しい発見があるのはうれしいことです。

いくつになっても学ぶことができることも幸せなことです。

そのことに感謝出来るようになっている自分を、自分で認められることが出来ることにも優しさを感じています。

さて、皆さんは今日の食事を、どんな気持ちでいただいたでしょうか?

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