知るということ

ずっと以前、高校生に出張授業をしたことがある。

「どう思いますか?」

そう問いかけても、なかなか手は挙がらない。

目を合わせると、下を向いてしまう。

中には、「どうか私には当てないでください。」

そんな表情を浮かべる生徒もいた。

だから今回も、講堂へ向かう途中、なんとなくあの頃の光景を思い出していた。

ところが、その予想は見事に裏切られた。

テーマは、「高校野球を七回制にすること」について。

私はコメンテーターとして招かれていた。

ところが、話が始まると、生徒たちの手が次々と挙がる。

意見が飛び交う。

「なぜ野球は九回なのですか。」

そんな問いから始まり、

九という数字の意味、

劇的な逆転劇、

選手の体力、

暑さ対策、

さまざまな立場からの意見が次々と出てくる。

私はいつの間にか、コメンテーターではなく、一人の観客になっていた。

そして、ある生徒の言葉に心を動かされた。

「高校野球は選手だけで成り立っていると思っていました。

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でも今日話を聞いて、吹奏楽部やマネージャー、応援する人、放送や運営に関わる人、試合が終わってから片

付けをする人まで、本当にたくさんの人が支えていることを知りました。

それを考えると、自分の考えも少し変わったように思います。」

その一言を聞いて、私は胸が熱くなった。

知るということは、知識が増えることではない。

見えなかった人の存在に気づくこと。

自分とは違う立場に思いを寄せること。

そして、自分の考えが少し変わること。

それが、本当の「知る」ということなのかもしれない。

帰り道、ふと思った。

あの日、講堂で交わされたたくさんの意見は、このあとどこへ届けられるのだろう。

誰かがきちんと受け止めてくれるのだろうか。

もしそうなら、この時間は未来につながる。

私は、この日の高校生たちから、大切なことを教えてもらった。

若い世代は、決して無関心ではない。

考えている。

悩んでいる。

そして、人の話を聞き、自分の考えを変える柔軟さを持っている。

その姿が、とても頼もしく見えた。

この経験は、私にとって大きな宝物になった。

ありがとう。

未来をつくっていく若者たちへ。

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