年相応って、誰が決めたの?

「ねえ、それって年相応の服装じゃないんじゃないの?」

久しぶりに会った毒舌の友人が、開口一番、私に投げかけた言葉である。

きたなあ。

ぐさっと。

でも、私も少しは大人になった。

「いいじゃない。私が着たいんだから。」

そう返すと、

「一緒に歩く私の身にもなってよ。」

と笑う。

負けてはいられない。

「そういうあなたこそ、その髪の色でいいの?」

私も言い返した。

お互い顔を見合わせて、大笑いした。

こんなふうに切り返せるようになった自分も、少し成長したのかもしれない。

考えてみれば、不思議な言葉である。

「年相応」。

何歳になったら、こうあるべき。

この年齢なら、これが普通。

そんな物差しが、いつの間にか私たちの周りにはたくさん並んでいる。

もちろん、年齢とともに体は変わる。

目も見えにくくなるし、疲れやすくもなる。

それは自然なことだ。

でも、それと「どう生きるか」は、別の話ではないだろうか。

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好きな服を着る。

新しいことを始める。

笑う。

挑戦する。

そんなことまで、「年相応」という言葉で区切られてしまうのは、少し窮屈な気がする。

私は最近、年齢とは何だろうと考えることが増えた。

年齢とは、この世に生まれてから過ぎた時間である。

でも、その人の本質まで表しているとは思えない。

友人も私も、戸籍の年齢から五十歳くらい引いたところに、本当の精神年齢があるのではないかと思うくら

いだ。

好奇心は相変わらず旺盛で、

新しいことを知るとわくわくして、

くだらないことで笑い転げる。

そんな自分たちが、私は嫌いではない。

だから最近は、「年相応」という言葉を、あまり気にしなくなった。

人は年齢を重ねる。

でも、魂まで同じ速さで年を取るわけではない。

むしろ年を重ねるほど、自分らしく生きられるようになる人もいる。

そう考えると、人生はなかなか面白い。

次に友人に会ったら、また何か言われるだろう。

でもきっと私は笑って答える。

「いいじゃない。私が好きなんだから。」

それで十分なのだと思う。

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